書籍名 | 国境 完全版 |
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著者名 | 黒川 創 |
出版社 | 河出書房新社(432p) |
発刊日 | 2013.10.20 |
希望小売価格 | 3,780円 |
書評日 | 2014.03.09 |
『国境』は1998年に刊行された、日本の植民地文学をめぐるエッセイ集。それが100ページほどの書下ろしを巻頭に収めて「完全版」として出版されたのには訳がある。著者の黒川創は昨年、小説『暗殺者たち』(新潮社)を発表した。「暗殺者」とは1909(明治42)年に旧満洲のハルビン駅で伊藤博文元首相を暗殺した安重根のこと。「暗殺者たち」と複数形になっているのは、殺された伊藤博文もまた幕末の「暗殺者」であった、つまりハルビン駅頭でふたりの暗殺者が交錯したことから来ている。
『暗殺者たち』が話題になったのは、これまで全集に収められていなかった夏目漱石の「韓満所感」を黒川が発掘し、小説のなかにその全文が取り入れられていたことによる。「韓満所感」は漱石が旧満州と朝鮮を旅行したときの印象を記したもので、旅から帰った数日後に伊藤博文暗殺が起こった。その事件のことが本文中に触れられている。『国境 完全版』巻頭に納められたエッセイは、新発見の「韓満所感」をめぐって小説とはまた別の視点から漱石と満洲のかかわりを探ったものだ。
夏目漱石が満洲・朝鮮旅行をしたのは学生時代からの親友で満鉄総裁だった中村是公の招きによるもの。「韓満所感」は、満鉄が経営する満洲日日新聞に上下2回として掲載された。漱石はこう書いている。
「伊藤公が哈爾賓(ハルビン)で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾賓は余がつい先達て見物に行った所で、公の狙撃されたと云ふプラットフォームは、現に一ヶ月前に余の靴の裏を押し付けた所だから、稀有の凶変と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた。ことに驚いたのは大連滞在中に世話になったり、冗談を云ったり、すき焼の御馳走になったりした田中理事が同時に負傷したと云ふ報知であった。けれども田中理事と川上総領事とは軽傷であると、わざわざ号外に断ってある位だから、大した事ではなからうと思って寝た」
ちなみに負傷した田中理事は、狙撃し取り押えられた際の安重根の立ち居振る舞いがよほど印象深かったらしく、後に「これまで出会った人で誰がいちばん偉いと思いますか」という問いに「それは安重根である」と答えている。
漱石のこの原稿は、満鉄に招かれた旅について満鉄が経営する新聞に寄稿し、しかも日本国内で読まれる可能性が低いこともあってか、招待先への配慮があったり、ことさらに仲間内の話を書いたりしているのは否めない。それにしても伊藤博文が暗殺されたというのに、世話になった知人が軽傷だったから「大したことではなからうと思って寝た」とはどういうことか。黒川は『暗殺者たち』のなかで、こんな感想を記している。
「この事件に、漱石がどんな感想を抱いたのか、はっきりとはわかりません。彼自身は、日本による植民地化が進む朝鮮を旅行するあいだ、たちの悪い日本人に騙されたりしている現地の朝鮮人を気の毒に思いながらも、日本人の海外への進出ぶりを誇らしく感じるところもあったようです。アンビヴァレントというのか、……ちょっと距離を取って目をそむけておきたい、という態度が漱石にはあります。……このぐずぐずした、ある種の不誠実こそが、この時期の満韓旅行に触れた、いくつかの彼の文章や講演の特徴であるとも言えそうです」
漱石は「韓満所感」だけでなく、小説のなかでも伊藤博文暗殺に触れている。旅の翌年に書きはじめた『門』がそれだ。
「宗助は、五、六日前、伊藤公暗殺の号外を見たとき、お米の働いている台所へ出て来て、『おい大変だ、伊藤さんが殺された』と云って、手に持った号外をお米のエプロンの上に乗せたなり書斎へはいったが、その語気からいうと、むしろ落ち付いたものであった。/『あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ』とお米があとから冗談半分にわざわざ注意した位である。その後日毎(ひごと)の新聞に、伊藤公の事が五、六段ずつ出ない事はないが、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分からないほど、暗殺事件については平気に見えた」
この部分を引用した後で黒川は、「漱石という人には、こんなふうに突き放して、この問題を見ているところがあります」と書く。漱石の日記にも、伊藤ら元老が宮内省からさまざまな理由をつけて金を引き出す無節操を不愉快に思っている記述がある。そんな振る舞いをする国家の指導層への拒否感というほどでないにしても、そこから距離を取ろうとする姿勢が、黒川が言う「ぐずぐずした、ある種の不誠実」とか「突き放して見ている」表現を漱石に取らせたのだろう。
『門』は1910(明治43)年3月から連載が始まるが、小説の舞台設定は伊藤博文暗殺の数日後から始まっている。秋から翌年の春まで半年ほどの物語なのだが、漱石が『門』を完成させるのは3カ月後の6月5日。この時期には、もうひとつの明治国家を揺るがす大事件が進行していた。明治天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水ら無政府主義者が逮捕・処刑された大逆事件だ。漱石が脱稿した6月5日には、紀州で幸徳を支援し、後に死刑判決を受けた大石誠之助が逮捕されている。
漱石は『門』の前に書いた『それから』のなかで、警察に監視される幸徳秋水を登場させている。
「幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人宛昼夜張番してゐる。一時は天幕を張って、其中から覗ってゐた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ来たと、夫から夫へと電話が掛って東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円使ってゐる。……/是も代助の耳には、真面目な響を与へなかった。『矢っ張り現代的滑稽の標本ぢゃないか』」
幸徳をつけ回す警察を漱石は「現代的滑稽」と揶揄した。ここでも漱石の「距離を取って」「突き放した」姿勢は一貫している。漱石は伊藤博文暗殺や大逆事件に明確な態度は示さないけれど(黒川は「漱石は、この時期、明治政府当局による幸徳秋水ら急進的社会主義者たちに対する苛烈な言論弾圧を、批判的な目で見ていました」と書く)、日露戦争に勝利したことで強権的な体質を露わにしつつあった明治国家に対する嫌悪は隠しようもない。
それは漱石が2年前に、東京帝国大学英文学講師という国家の一歯車として働くことを辞め、作家として身を立てるのを決意したことにも対応しているだろう。やがて漱石は、文部省からの文学博士号授与も頑なに拒むことになる。そのとき漱石が発した「是から先も矢張りたゞの夏目なにがしで暮らしたい」という台詞は、「森林太郎トシテ死セント欲ス」と書いた鴎外の遺言と響きあうものを持っている。
僕たちは若いころから漱石の小説を古典として読んできた。それが明治後期に書かれたことは知っていても、小説の内容とそれが書かれた時代との対応をあまり気にかけることをしなかった。こんなふうに『それから』と『門』が伊藤博文暗殺、大逆事件という明治国家を揺るがした事件と同時進行で書かれていたことを知ると、漱石の小説がまた別の顔をもって立ち上がってくるのを感ずる。
そういえば、なぜ漱石がこれを書いたのかよく分からなかった『坑夫』も、足尾鉱毒事件と同時進行だったことを知ると納得がいく。坑夫になろうとして挫折する青年の物語は、いかにもぐずぐずした傍観者である漱石らしいではないか。まだ「則天去私」の境地に至る以前に、胃痛に悩みながら同時代を苦々しく観察していた作家の貌がずいぶん身近なものに思えてくる。
黒川創がこの本でやっているのは、日本文学を植民地という視点から読み直す作業だ。日本兵に犯されて死んだらしき中国人少女の目になって詩を書いた森鴎外(彼は多義的に解釈できるよう周到に隠したが)。戦場で敵味方なく看護して「君には国家という観念がないのか」と罵声を浴びせられる看護員を主人公に小説を書いた泉鏡花。魅力的な男だったらしい安重根を戯曲に描いた谷譲次。植民地に住むことの葛藤を記した無名の作家たち。また日本語で小説を書くことを選んだ朝鮮系、台湾系の作家たち。
明治から昭和前期にかけて、植民地によって広がった「国境」では、その境界でさまざまに異質なものが混在し、衝突していた。そこに身を置いた作家たちが紡ぎだす矛盾と苦しみに満ちた言葉から、新しい可能性をさぐろうとする試みとして刺激的な本だった。(雄)
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