書籍名 | 刑期なき殺人犯 |
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著者名 | ミキータ・プロットマン |
出版社 | 亜紀書房(336p) |
発刊日 | 2022.07.23 |
希望小売価格 | 2,640円 |
書評日 | 2022.09.16 |
本書は、両親を射殺したものの、「心神喪失」で「責任能力なし」と判断されて司法精神病院に送り込まれ、30年を過ごしている男の記録(ノンフィクション)である。著者のミキータ・プロットマンは精神分析医であるとともにノンフィクション作家。現在も米国メリーランド大教授で、州の刑務所や司法精神病院で収容者との読書会を主宰している。本書の主人公ブライアン・ベクトールドもこの読書会に参加した一人。著者が本書を書くにあたって、ブライアンは自身の記憶を語り、精神科医のカルテや裁判の録音記録などを提供している。司法精神病院収容の意味を問うとともに、精神病の診断の曖昧さや病院内の運営上の問題を提起してい一冊である。
この事件の重要な視点として、家庭環境にまず焦点が当てられている。ベクトールには、三人の姉と一人の兄が居た。母親は夫からのDVや育児ストレスから精神病院に入院経験があり、姉の一人は学習障害、兄はコンビニ強盗に加わり未成年犯罪矯正施設に送られた経験がある。両親は子供達が問題を起こすと精神科クリニックで治療手段をとってきた。ブライアンも精神科医のカウンセリングで「家庭内の孤立」と「自殺のリスク」の指摘とともに「不定形鬱」と診断されている。兄弟達の話では、父親の日常的な暴力とあざけりが原因だったとしている。ただ、精神科医やカウンセラー達は父親の博士号を持つ学歴、ウエスティング・ハウスなどの企業での職歴、そして対応の上手さなどから父親に対しては好印象を持っており、子供達の問題原因は母親の資質と性格にあると判断してきた経緯がある。
こうした、家庭崩壊がこの犯罪の原因であるのだが、社会としてこうした家庭に対して積極的に対応出来るのか、すべきなのかの議論も必要なのだろうと思う。
ブライアンは19才でマリワナやコカインの常習化が始まり、販売目的でのコカイン所持の疑いで警察に検挙され保護観察処分を受けている。この時は「統合失調型パソナリティー障害と複数の薬物障害」と診断され、大学は中退して両親のもとに戻り、親子三人の生活を始める。この頃からブライアンの妄想は強くなり、ブライアンはショット・ガンを保有した。そして、1992年2月、22才のときに一階で怒鳴る父親の声に驚き、父を撃ち、そして母を撃った。ブライアンは10日間、車で逃走したが、警察に自首する。裁判での精神鑑定報告書では「犯人は実家に他の惑星から来た工作員が侵入した。自分は常に自分を騙そうとして来る悪魔と戦っていると信じている。精神疾患、特に妄想型の統合失調症を患っており犯行時には、犯罪性を認識する能力が無くなっていた」として「責任能力は無く、メリーランド州の司法精神科施設であるパーキンス病院に収容する」という判決となった。
このように「心神喪失状態のため無罪」となったケースでは精神病院施設に収容され、社会に復帰しても危険がないと判断されるまで被告はその病院を退院出来ない。
パーキンス病院でブライアンの歴代担当医師は、彼は継続して統合失調症であり、「ある意味宗教的な妄想であり、ブライアンにとっては自分が悪魔に憑りつかれていたと考える方が、自分の両親を殺したという事実に向き合うより容易だった」と推測していた。グループセラピーなどの状況から「自分を守ることに徹しており、治療上の人間関係も上手くいっていない。自分の犯した犯罪と、それを引き起こした精神病に付き合う事が必要」と考えられていた。彼のカルテの「妄想に加えて、到達不可能な治療目標を自分で設定している」という表現も彼が抗精神薬の投薬拒否を続けていたこと関連している。
こうした診断はブライアンの自覚とは大きくかけ離れていた。そして、長年改善できないギャップにある種の諦めがブライアンに生まれてきた。ブライアンは暴力的に脱出すれば、逮捕時に射殺されるか、悪くても刑務所へ◯◯されることで、この施設での意味のない生活に終止符を打てると考えた。1999年に病院スタッフを人質にして病院から脱走を果たしたが、警察に銃撃されて取り押さえられた。この脱走事件の裁判で暴行罪と武器の不法所持で有罪となったが、裁判長は「この件において刑務所での懲役刑を科すことは犯人の動機に沿う形になるので、18年の執行猶予と病院施設へ送り返す」とした。そして、2005年に再度、配管部品を武器にして病院からの脱出を試みて失敗する。こうして、現在に至るまでこの病院施設の収容は続いている。
2013年に著者はこの施設で患者向けの読書会を主宰し始めた。ブライアンは第一回から参加していたという。このとき彼はこの施設に20年以上収容されていたことになる。著者はブライアンとのコミュニケーションの中で共感できたことは、「私は両親を殺した」とありのままの事実を語ったことと、「犯行時は重度の精神病だったが、20年前から妄想型統合失調症ではないと確信している」という点だった。この著者の確信はブライアンを勇気づけたに違いない。
入所して22年が経った2014年にパーキンスはメリーランド州保険精神衛生局に対し、不法入院の訴訟を起こした。弁護士を付けず自身で弁護をした。検察側は1999年と2005年の脱走事件を示し、ブライアンの暴力の歴史、子供時代の問題行動、薬物歴、犯罪歴、そして精神病院施設での診断歴を示して、病院の判断の正統性を示した。陪審員は「満場一致で表決出来なかった」ことから判事の判断となり、ブライアンは敗訴した。
本書を読んでいると普段接する事の少ない言葉も多く、正しく理解しているかは不安であったし、再確認させられた点も多かった。精神病は客観的な数値で診断することが難しいことや、医師と患者の相性といった要素の具体的な例を示されると、その対応の難しさは想像に余りある。また、司法精神病院とは精神病を回復させるために入院する場所だが、一生をここで終える患者も多いという事実にも疑問を持たざるを得ない。加害者を措置入院させるのは治療のためなのか、社会から隔離するためなのか、親族の都合なのか、そもそも精神病とは何か、という疑問が湧いてくる。
日本の最高裁の判例では「心神喪失」とは精神の障害により弁識能力(良いことと悪いことの識別)や制御能力(行動をコントロールする能力)を欠いている状態をいうようだ。精神障害とは、統合失調症や躁うつ病だけでなく、知的障害や飲酒による酩酊なども含まれている。つまり、裁判所は精神障害という生物学的要素と弁識・制御といった心理的要素の両面から責任能力を判断しているということだ。
しかし、「無罪」と「罰しない(刑の執行をしない)」という区別も良く考えると曖昧なものである。殺人の動機が「信念」か「妄想的心神喪失」かは、表裏一体なのではないか。その線引きは曖昧であり、自分は精神病ではないと法的に説得することも難しそうだ。モヤモヤ感の残った一冊であった。(内池正名)
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