建築はほほえむ【松山 巌】

建築はほほえむ


書籍名 建築はほほえむ
著者名 松山 巌
出版社 西田書店(120p)
発刊日 2004.4.30
希望小売価格 1300円+税
書評日等 -
建築はほほえむ

本に呼ばれていると感ずることがある。読書好きなら、たいていの人が体験したことがあるにちがいない。書店に入り、平積みされた棚をながめていると、本がこちらにむけて、ひそかな信号を発している。

その本は目立つ本ではなかった。逆に装幀は地味で、文字だけのデザイン。カバーも何の変哲もない黄土色の紙を使い、白い帯に余白をたっぷりとって1行だけのキャッチが記されている。版型も小さく、厚みもない。ただ、いつか、どこかで手に取ったことのある本のような気がした。

いまから思えば、活版に呼ばれていたのだ。この本のサブタイトル「目地継ぎ目小さき場」に従えば、「小さき場」に呼ばれていたのだ。

書店に並んでいる本には、情報としての側面とモノとしての側面がある。

情報の部分は、活字の本なら著者によって主に文字によって構成される。モノの側面は、著者によって記された情報を、どんな版型でどんな大きさの活字を使い、何字組みで組むのがよいか、行間をどれだけ開け、四方の余白をどれだけ取るか、カバーにはどんな紙を使い、写真やイラストを使って、あるいは使わないでデザインし、帯にはどんなキャッチコピーをどんな大きさで入れるか、といった要素で構成される。

これは主に編集者が、著者や写真家、イラストレーター、デザイナー、また印刷会社などと協力しながらつくりあげる

情報とモノ、中身と装幀がうまく出会ってはじめて本は本となり、オーラを発しはじめる。そのオーラが読者に自らの存在を呼びかける。

この本も、もちろんそんなオーラを発している。でも、それだけではない。それだけなら、情報とモノがバランスよくまとまった、よくできた本というだけのことだろう。

この本はさらに一歩進んで、著者が記したメッセージそのものをモノとしての本作りで実践してみせている。情報がモノと化し、モノがそのまま情報となっている。その象徴が活版印刷の採用というわけだ(この本が活版で組まれていることを、僕はある誤植から気づいた。そのことについては自分のブログに記した――注)。

1970年代あたりまで、ほとんどの本や雑誌は、活字を人の手で1文字1文字組む活版でつくられていた。その後、電算写植やDTPが普及して、活版印刷は姿を消した。もっとも、この本が活版を採用したのは回顧趣味からではない。ノスタルジーではなく、もっと積極的な実験と考えるほうがいいことは、先に記したとおりだ。

松山巌は、「あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。あなたが気持ちのよいと感じる場所を考えてみよう」という設問から始めて、建築とはなにかをさぐってゆく。好きな場所、気持ちのよい場所は、いま、どこにあるのか。

松山はさらに、こう問いかける。「建築は愛されているか。町は愛されているか。都市は愛されているか」。それに対する多くの人の答えは、否定的なものではないだろうか。特に20世紀の合理主義的な建築は、本来そうあるはずの「好きな場所」「気持ちのよい場所」ではなくなっていることが多い。

「建築家、……都市計画家がはじめに考えることは、自分の好きな場所、気持ちのよい場所を発見し、それに具体的なものと寸法を与えることだ。素材、かたち、大きさ、光と風、水と緑、土と石などを配置し、つくり上げ、気持ちのよい場所であるように秩序をつくる、それが仕事だ」

そのためには「小さな場」が大切なのだ、と松山はいう。

浴室のタイル壁には目地(継ぎ目)がある。タイル壁に目地がなかったら、地震が起きればタイルとタイルが直にぶつかり合い、タイルにヒビが入って壁は壊れてしまう。タイルの目地のようなもの、建築用語では「逃げ」と呼ばれる、異なるモノとモノを組み合わせる際に意識的につくる小さな隙間のようなもの、時間と場所の隙間が、人が生きていくためには必要なのだ。

その「気持ちのいい場所」「小さな場所」を、松山巌は主張するだけでなく、実際につくろうとした。それがモノとしてのこの本ということになる。

この本には、「隙間」や「目地」がふんだんに使われている。著者によるイラストと写真が、文字と文字のあいだに説明的にではなく、読者にひと息つかせるために差しはさまれる。さらには活字が、遊びをもって組まれている。

活版印刷は鉛の活字にインクをつけ紙に押しつけて印刷するものだから、印圧によって紙に凹凸が生ずる。それは一目みて分かるものではないが、本を開いたとき、人は無意識のうちにその凹凸を感ずるものだ。そのことをはっきり確かめられるのがカバーで、タイトルと筆者名を指先でゆっくりとたどってみれば、明らかな凹凸を触知できる。指先が喜んでいるのが分かる。

また活版には、印圧によるインクの滲みもある。この本では滲みを、写植によるオフセット印刷では感じられない手作業の効果として使うために、厚手のざらっとした紙が選ばれている。この本の手触りがよく、手作りされた工作物という感じを読者に与えるのは、そうした周到な本づくりがされているからだ。

「気持ちのいい場所」「小さき場」としての本が、ここにある。それはどんな高価な装幀や、どんな過激な主張よりも、目と指先をとおして深く人の生に食い込んでくる。(雄)

(注)ブログ「Days of Books, Films & Jazz」の「懐かしい誤植」
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