虚史のリズム【奥泉 光】

虚史のリズム


書籍名 虚史のリズム
著者名 奥泉 光
出版社 集英社(1104p)
発刊日 2024.08.10
希望小売価格 5,280円
書評日 2024.10.17
虚史のリズム

中味でなく外側から入ろう。本書は大型のA5判1104ページ。重さは1キロを超え、ずっしり重い。カバーには「dadada/dadada/dadada/dadada」と、よく分からぬ「da」の繰り返しがカバー表から背、裏にかけて大きくデザインされ、その谷間に小さく書名、著者名、出版社名が記される。4センチを超える厚さの本文の天地や小口(背の反対側)はふつう真っ白なものだが、インクで黒くなっている部分がある。そこを開いてみると、本文に数行から十数行の「dadadadadadadadadadadada」が続くだけでなく、本文と本文の行間や、文字組みの上下左右の余白にまで「dadadadadadadadadadadada」が印刷されている。本文だけでなく本のデザインにまで侵出しているこの「dadada」は一体なんなのだ、とページを開く前から謎をかけられて、おもむろに本文を読みはじめることになる。

1947(昭和22)年、米軍占領下の東京。物語を引っ張る主人公が二人いる。一人は元兵士でレイテ島の捕虜収容所から帰還した石目鋭二。焼跡で石鹸をつくったりバーを経営して食いつなぐ探偵志願だ。もう一人は元陸軍少尉でやはりレイテの捕虜収容所にいた神島健作。神島の兄で(神島は養子になったので姓は違うが)元陸軍中将の棟巍(とうぎ)正孝夫妻が殺害される事件が起こる。捕虜収容所で一緒だった石目と神島が出会ったことから、石目はこの殺人事件の犯人を追うことになる。

奥泉光ファンなら、ああ、やっぱりと思うはず。この新刊もまたミステリーというか、探偵物語というジャンル小説のスタイルを取っている(本サイトでは『雪の階』を取り上げたことがある)。といって奥泉ファンなら先刻承知だけれど、犯罪や謎を追いかけ、犯人を名指して解決するという定番の筋道はたどらない。いや、最後に犯人が判明し、一応の解決は見るのだが、小説の面白さはそこにない。その過程で、物語に絡むさまざまな要素や登場人物が入り乱れ、その細部まで描写されて、何本もの根や幹が撚り合わさったガジュマルの巨木のような小説になっている。それぞれの幹や場面場面を楽しむのが、この小説の醍醐味だろう。

巨木の根の中心にあるのは、戦争と敗戦である。

元兵士の石目が活躍するのは敗戦後の日本社会。尻軽でお調子者の石目は、混乱期を食いつなぐため何でもやる。GHQとつるむ愚連隊の頭目からは、殺された棟巍元中将が持っていた「K文書」を探すよう依頼される。「K文書」には軍の機密が書かれているらしい。かたわら進駐軍のクラブに出演するバンドのマネジャーなどもやって、怪しげなビルに探偵気取りで入り込む。

もう一人の元兵士、神島は戦後社会になじめない。駆け出しの学者だった彼には戦争中の記憶が絡みついて、ことあるごとに蘇ってくる。神島は、歳上の甥・孝明の妻・倫子に惹かれている。倫子は、行方知れずの夫を置いて東京で米軍将校のオンリーとして暮らしている。同じ一族で神島の姪・澄江は神島に惹かれているが、彼女も美大に入って東京に出、石目のバーを手伝っている。澄江も、女性カメラマンの卑弥呼とともに、石目の探偵もどきを手伝う。

そんな、戦後を舞台にした風俗的な探偵小説という幹に、別の幹が絡んでくる。神島に何度もフラッシュバックしてくるのは、フィリピンのネグロス島の森を敗残兵として逃げまどった記憶。

「暗い樹林の陰、瘴気のなか、無数の虫たちのすだく湿地の沼に、蓮に似た真紅の花が一輪、蒼空の月に顔をむけ咲いている。それは死んで腐壊した兵士たちの骨肉を栄養にして、驚くほど艶々しく、血がしたたるように厚く生々しい肉の花弁をもつ花を咲かせたのだ。禽獣に齧られ、小魚につつかれ、小エビや蟹や虫の類に食われて形を失い、細菌の分解作用で発酵した泥汁は、もはや誰の、ともいえぬ大勢の兵士たちの骸であり、そのなかにはこの私もまぎれている。やはり自分はあそこで死に、朽ち、溶け、樹林の生き物たちの養分になったのではあるまいか? 赤い花になり変わって、いまなお熱帯の青い月を眺めているのではあるまいか?」

神島が主語になる章は、こんなふうに漢語の多い耽美的な文体で描かれ、じっくりと読ませる。一方、石目が主語になる探偵小説ふうな章は、意図的に脱臼したような軽い文体で語られる(小生は好みとして前者が好き)。神島の記憶とも妄想とも夢ともつかない回想は、やがてリアリズムと別の次元につながってゆく。

ネグロス島の洞窟には鼠や大蛇が棲みついているが、日本兵がいきなり鼠になってしまい、人間である兵士と会話する場面が出てきたりする。だけでなく、やがて神島自身が鼠になってしまい、人間である神島と会話を交わしたりする。神島の知り合いで、敗戦後の軍人の変貌に失望した学生や、澄江の孫娘(夢あるいは妄想の世界で、昭和22年には生まれていない未来の人間)も鼠になってしまう。このあたり、物語も半ばを過ぎて「dadadadadadadadadadadada」が、時に「死者の声」、時に「地下に棲む虫たちが這い回る音」あるいは「ヤマタノオロチが蠢く際に出す音」と形容されて頻出する。

並行して、探偵小説のパートでは別の幹が生まれている。「K文書」は軍がESP(超能力)の研究をしていたこと、ある人間が日本の敗戦を予言していたことが書かれていたらしい。「第一の現実」と「第二の現実」とか、「うつし(現)世」と「かくり(隠)世」といった、宇宙が多元的である話が進行する。鼠になった神島は、どうやら「かくり世」にいて、ネグロスの洞窟は「うつし世」と「かくり世」という別の宇宙が接続する場所であるらしい。「かくり世」で鼠になった神島たちは、日本は鼠の国になったと語る。

「──あるいは狂った鼠が集まったのが鼠集合体なのかもしれないな。

 神島鼠はいった。直感の指し示すままの発言だったのだけれど、……神島鼠の頭には、糞蛆原屍肉国と化した日本列島に狂った鼠が溢れ群がる画が浮かんでいた。屍肉やそれに群がる虫どもに飽食しながら、なお底知れぬ飢餓感を癒すことのできぬ狂鼠たちが互いを食い合うべく蝟集し、揉み合い絡まり合い人の形を成す。鼠集合体の誕生だ」

一方、探偵小説の章では、「K文書」を追う石目は「皇祖神霊教」という宗教団体に行きつく(このあたり、過去の『雪の階』や、小生は読んでいないが他の奥泉作品を思わせるらしい設定や人物が出てくる)。棟巍一族はその団体にも絡んでいた。最後に近く、「皇祖神霊教」は穢れた天皇に代わって、天岩戸に隠れている真の天皇を呼び出す儀式を行って集団自決する。神島鼠たち三匹は、その一部始終を目撃する。

本書のタイトルは『虚史のリズム』。歴史的な事実だけでなく記憶や妄想や夢、果ては多元宇宙まで取り込んだこの小説は、真実ではない虚ろな歴史ということになるだろう。ただ1956年生まれの著者は、戦争と敗戦直後についてずいぶんと資料や映像を読み込んだのだろう、万華鏡のようなこの小説のあちこちに色んなエピソードやショットを散りばめている。

この小説の「現在」である1947年に生まれた小生にもちろんこの年の記憶はないが、戦後の混乱期のかすかな記憶はあって、描写の端々で、これはあの事件だなとか、こういう建物や風景があったなとか、うなずくことが多かった。繰り返しになるけれど、探偵小説仕立ての全体の筋道より、そうした場面場面を堪能するのがこの小説を楽しむ仕方だと思う。その意味で、神島の記憶に蘇るネグロス島の森や洞窟の描写は圧巻だった。

そうしたディテールの面白さをさらに敷衍するなら、教科書的に整除された歴史とは何なのだろう、という疑問に行きつく。その時代を体験していない者にとって、歴史を学ぶためにそうした作業は不可欠だけれど、周囲にはそこからはみ出たもの、その時代に生きた個々人の記憶や夢や妄想まで含めて無数の事や物、思念、感情が整理されないノイズのようにまとわりついている。「dadadadadadadadadadadada」という音がそれを象徴しているだろう。歴史を知るとは、むしろそのように排除されたもの、非合理で相矛盾する、しかしその時代を生きた一人ひとりの魂を突き動かしたものに耳を傾けることではないか。そのようにこの戦争と混乱の時代を見ることを指して著者は「虚史」と名づけたのだろう、と考えた。(山崎幸雄)

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