内儀さんだけはしくじるな【古今亭八朝・岡本和明】

内儀さんだけはしくじるな


書籍名 内儀さんだけはしくじるな
著者名 古今亭八朝・岡本和明
出版社 文藝春秋(275p)
発刊日 2008.7
希望小売価格 1800円(税込み)
書評日等 -
内儀さんだけはしくじるな

目白といえば六代目柳家小さん、柏木は六代目三遊亭圓生、黒門町は八代目桂文楽。おのおのの弟子が集まって座談形式でお内儀さんについて語っている。なにしろ当の師匠もお内儀さんも死んでしまっているので、ここで話されている内容が本当かどうか確認をする術もない。

それだけに「本当か?」と疑いつつも、興味が惹かれ、且つ、ばかばかしい話が多いのもこの世界の特徴。語る弟子たちは年代・世代も違っているのでそれぞれのお内儀さんに対する意識の差やお内儀さん自身の変化も出ていて面白い。
小さんのお内儀さん、小林生代子を語っているのは十代目鈴々舎馬風、柳家さん吉、六代目柳家小燕枝、柳家さん八、柳家小里ん。圓生のお内儀さん、山崎はなを語っているのは川柳川柳、三遊亭生之助、三遊亭圓龍。文楽のお内儀さん、並河寿江を語るのは九代目桂文楽、六代目柳亭左楽、三代目柳家小満ん、橘家二三蔵。おまけというのもなんだが、六代目古今亭志ん馬夫人の稲田トシ、十代目鈴々舎馬風夫人の寺田貴子の二人の話も最後にまとめられている。

落語の世界では、基本的に内弟子に入り、前座、二つ目と昇進していくのが普通のパス。従って、まずは内弟子として十代で親元を離れて師匠宅で生活することになる。当然、慣れない環境で失敗もすれば戸惑うことも多いわけで、お内儀さんから教えられたり、師匠からしかられて世間を覚えていくというステップである。十代といえば、まあ子供なわけだから、お内儀さんに世話になったと感じている落語家が多いというのも本書の随所から感じられる。

そうはいっても、師匠とお内儀さんは夫婦。一方だけ語るのは不可能で、「お内儀さんはやきもち焼き」と言っていれば、裏をかえすと「師匠が遊び好き」と言っているわけで、各一門の師匠とお内儀さん、弟子達からなる日常生活全般の話で構成されている。

そもそも、他人が家族として一つ屋根の下で生活するというのはそんなに珍しいことではなかった。戦後でも下宿といえば、賄いつきで朝夕は大家さんと食事を摂っていたわけだし、集団就職も住み込みが当然。加えて、女中さんというか、お手伝いさんも嫁入り前の行儀見習いとしてはポピュラーな働き口であった。しかし、昨今では職人も減り、学生の一人暮らしはアパートというかこぎれいなマンションに住まうのが当たり前で、家庭の中に他人がいる生活が極端に少なくなってしまった。

そうした中では、内弟子制度を持っている業種というか世界は落語を初めとする伝統芸など数えるほどになっている。日本の家庭の原風景である、他人の子を預かって一人前にしてあげるという仕組み、逆に言えば、若者が他人の家族に一人放り込まれて仕事を身につけるという仕組みは風前の灯である。

本書のタイトルの「内儀さんだけはしくじるな」という言葉は一門の師匠がいろいろな表現で内弟子生活の極意を教えようとしているもの。ただ、それは全ての仕事や人の育成の中でヒントとなるものも多い。

馬風と師匠の小さんとの会話では、
「いいか、お前なあ、師匠と弟子は生涯だけれど、内弟子ってのは、かかあをしくじったら家には居られねえぞ。俺のことはどうでもいいから、かかあをマークしろ。それから俺が外で女にもてたって話があっても家に持ち込むな。もし、そういうことがあったら即、破門だ」

また、文楽はこう言っていたという。
「お前なあ。内儀さんをしくじるな。内儀さんをしくじると、俺は許していいと思ってもね、お前を許すわけにはいかないんだから、お前と内儀さんのどっちをとるったら、俺は内儀さんをとるからな・・・」

こんな具合にお内儀さんとの関係を上手くやれといっている。ただ、文楽は「まあ、あたしを怒らせてくれるなよ・・・」と一言付け加えているので、弟子としては師匠にもお内儀さんにも平等に気を遣うことが要求されている。そうは言っても落語家の一家であるから、師匠が怖い、お内儀さんが厳しいといっても、言葉遊びが成り立っている内はどうにかなるものだ。

読み進むと、躾に始まって、芸のことなど、なかなか細かくお内儀さんが内弟子の面倒を見ているものだと感心してしまう。小林生代子は「咄家の人情話なんかはばかばかしくて聴いてられない」と言っていたようだ、確かに講談全盛時代に生きた人間からすると人情話は講釈師の仕事と思っていておかしくはない。咄家の本分は笑わせることとのお内儀さんの確信は同時に小さんの芸の確信でもあるはずだ。

「泣く感性というのは大雑把に括ってみたら、うれし泣きなんかを入れても三つか四つしかない。笑いは「個人的」なものなんですよね。だから、大勢の人を笑わせるのは難しいのです。・・・」とは小里んの言。

また、「腹一杯にして楽屋に行け」という生代子の科白もなるほどと感心する。なにを言っているかというと、寄席の楽屋に寿司の差し入れがあったりすると、前座たちがわーっと集まって食べる。そういうことはみっともないこと。そうした教えの甲斐もあり、「小さん師匠のお弟子さんは口がきれいですね」と褒められていたようだ。「口がきれい」という言い方もなかなか洒落ているが、「腹一杯にして楽屋に行け」というのも大変判りやすい若者教育である。

さて、文楽のお内儀さんの並河寿江は、まわりから「長屋の淀君」と呼ばれていただけあって、なかなか厳しく・激しかったようだ。弟子が朝めしでキュウリの漬物を食べようと刻んでいたら、キュウリを食う身分かっ!!といって怒られたという話しを読むと、笑ってしまう。

「マッチ箱を置き忘れたときにお内儀さんから「これは、何だい」と聞かれたので、ええ、寄席で師匠たちが煙草をお吸いになるときに火を付けてあげるために鈴本さんからいただきました、と答えると、「お前は幇間じゃないんだよ。火なんか付けることはないんだ」と寿江さんから怒られた」との事。咄家としてや文楽の弟子としての矜持を大切にしていたということか。そうは言っても寿江さんは煙草が大好きで、病気で煙草をやめたときの話が紹介されている。

「灰皿の掃除から開放されただけでも助かったという思いから、「お内儀さん、煙草をやめられてよかったですね。これで体もよくなるし、私は煙草のにおいが一番嫌いでしたよ」って言ったら、私のことを睨み付けて、「今はなにが一番嫌いなんだ」と一喝された」

言葉遊びとしては100点満点であるが、お内儀さんから一喝された十代の若者としては返事のしようもないだろう。なにしろ、あの「苦みばしった」・「長屋の淀君」から怒られるのだから。極めつけは、過剰な亭主思いの指示である。

「・・・絶対にどんなことがあっても喧嘩しちゃだめだよ。ただ、父さんの悪口を言っている人がいたら、喧嘩してもいい。相手が圓生さんでも何でもかまわない。わたしが責任を持つ。」

引き合いに出された圓生もいい迷惑だとおもうが、こうでなくてはお内儀さん業は務まらない。

それでも、お内儀さん家業としては乾坤一擲の局面もあるもので、圓生のお内儀さんの山崎はなのエピソードはまさにそのひとつである。圓生は落語協会分裂の張本人であるわけだが、落語三遊協会の独立から一年後に心筋梗塞で亡くなってしまった。このため、引き連れて行った弟子たちは宙に浮いてしまう。

この時の山崎はなの行動は、圓生が天皇を前にした御前公演で一度だけ足を入れた仙台平の袴を持参して、落語協会の会長であった小さんの所に行き、「弟子たちを又、受け入れてやってください」と頭を下げたとのこと。分裂劇で生じた混乱と憎しみは席亭を含めて激しいものであったと思うが、弟子達を無事に元のさやに納めることが出来た。これはお内儀さんしか出来ない最後の大仕事である。

師匠たちもお内儀さんたちも内弟子たちとともに生活をして、てんやわんやではありながら、楽しそうでもある。一門の風土はお内儀さんの性格にかなり依存しているのが良くわかる。そんな師匠とお内儀さんの本質をよくあらわしている馬風の一言。

「・・・・我々は師匠からは芸を教えてもらったけど、お内儀さんからは人情・処世術を教わった・・・・」(正)

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