書籍名 | 国家の崩壊 |
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著者名 | 佐藤優 |
出版社 | にんげん出版(368p) |
発刊日 | 2006.3.15 |
希望小売価格 | 1600円+税 |
書評日等 | (聞き手)宮崎学 |
1992年夏、ソ連が崩壊して半年後のモスクワとサンクト・ペテルブルグを1人で旅行したことがある。国家がなくなるというのがどういうことなのか、自分の目で見てみたいと思った。
女詐欺師に騙されたり、銀行の窓口で金をごまかされたり、おまけにエルミタージュ美術館で足首をひねり骨にヒビが入るなど散々な旅だったけど、そういうことをひっくるめて、とても面白い体験だった。
女詐欺師とはサンクト・ペテルブルグのホテルで出会った。ショップを覗いていたら、棚のパンやミルクを入れた買い物籠を手にした中年の女が近づいてきて、自分はユーゴから来たジャーナリストなのだが内戦で送金が途絶えてしまった、日々の生活にも事欠くのでこの買い物を援助してもらえないか、と英語で話しかけてきた。
いかにも知的で、ホテルのバーにたむろしているその種の女たちとは違う雰囲気だったし、内戦のユーゴと言われてついホロリときてしまった。
十数ドルの買い物でこちらにとって大した額ではなかったが(当時、いちばん信用があったのはルーブルではなく米1ドル紙幣)、それは誘い水で、店を出ると、お礼に自分の部屋に来ないか、ユーゴから持ち出した高価な古いコインがあるから安く譲るなどと言う。そこではじめて、あ、やられたな、と気がついた。
なんとか理由をつけて断ったけれど、翌朝も彼女はホテルのロビーで声をかけてきた。夕方、エルミタージュで足首をひねり脚を引きずりながら帰ってくると彼女はまだそこにいて、どうしたの? と聞いてくる。こうこうだと話すと、それはすぐに病院に行かなくちゃと、タクシーで病院に連れていってくれた。
その日は日曜日で、黒ずんだレンガ造の暗い病院には一人だけ医師がいた。長身で痩せている。もみあげからアゴまで髭を生やし、まるでソルジェニーツィンのような風貌。
こちらの説明に左足首を触って、日本ではお目にかかったことのない巨大な台に乗せられてレントゲンを撮った。やがて現像したフィルムを見て小さなヒビが入っていると言い、あっという間にくるぶしから下を石膏で固められてしまった。
お礼を言って診察代を払おうとすると、旅行者は無料だと言う。どういう制度なのか詳しいことは分からなかったが、ついに1銭も受け取らず、おまけに日本に帰ったら病院でこれを見せろとフィルムまでくれた。国家が崩壊したというのに、医療に関してはさすがに社会主義は手厚いなあ、と思ったものだ。
金をまきあげつつ親切にもしてくれた女詐欺師。良心的なインテリの見本のようだった医師。街頭での換金は不安だからと思って行った銀行の窓口でやられたごまかし(渡したより少額しか受け取っていないと言われ、小さな受け渡し口しか開いていないガラスの仕切り越しに何度も抗議したが、当の太った中年女も周囲も厚顔な知らん顔を通した)。
モスクワのホテルのレストランでサラダを頼んだら、ぶつぎりのきゅうりとキャベツがドレッシングなしで出てきたかと思うと、市内のグルジア料理のレストランに行くとメニューは豊富、しかも安くて旨い。ただしルーブルとドルはメニューが別で、ドルを持っていれば、だが。
サンクト・ペテルブルグの文学カフェでは、レースのカーテンの上品な部屋に優雅な身なりの人たちが集い、モーツァルトが鳴っていた。その帰りに乗った地下鉄では、それまでもその後も一度も見たことがない絶望的で暗い目をした老夫婦を見たし、駅の地下通路では、誰も買いそうにないぼろ靴を手に一日中立ちつくしている男もいた。
前置きが長くなってしまったけれど、僕がロシアを訪れた1992年前後、「ソ連崩壊からエリツィン第2期政権までの5年間」を佐藤優は「幸福な無政府状態」と呼んでいる。
連邦が崩壊し、年率2600%の超インフレ(92年)。国営企業が解体されて資本の原始的蓄積が進み、貧富の差が拡大する一方、相互扶助が盛んで皆が助け合い、文化活動が活性化した時代でもあったという。
佐藤優は、鈴木宗男事件に関連して逮捕されたソ連・ロシア情報のプロ。「外務省のラスプーチン」と呼ばれた隠れた実力者で、逮捕後の取り調べを記録した著書「国家の罠」は「国策捜査」という流行語を生んだ。
「国家の崩壊」は、宮崎学を聞き手に、佐藤がつぶさに見たソ連邦の崩壊過程を彼独自の情報と分析で語ったもの。僕たちがマスコミを通じて知った知識とは別の見方がされていて、うーん、なるほどと思うところが多い。
例えば佐藤は、ブレジネフ時代のソ連は「安定した豊かな社会」で、その後のゴルバチョフの登場は民衆から「いやな時代になった」と受け取られたと言う。ブレジネフ政権は石油輸出で儲かった金をどんどん国民に還元し、「ほとんど働かなくても食べていける」「中東の産油国のような雰囲気」(裏から言えば弛緩した社会)だった。
ゴルバチョフは、そんなふうに弛んだ社会のタガを締め直す政策(反アルコール・キャンペーン)を取った。アルコールが姿を消し、別の理由からタバコもなくなった(ルーブル崩壊後、米1ドル紙幣の前の「通貨」はマルボロだった)。
日本語で「ペレストロイカ」という言葉にいちばん近い語感の単語は「リストラ」だという。「ゴルバチョフは、これは国家が根っこから腐っている、と思った。完全なリストラが必要だと考えたんです。……しかし、あまりにも腐敗がひどかったので、再建策が次々に失敗していった。そういう構造だと見ればわかりやすいのではないでしょうか」
佐藤は、ゴルバチョフとエリツィンの差をその民衆観に見ている。ゴルバチョフは酒とタバコを規制しようとしたが、エリツィンは酒もタバコも開放した。じゃがいもやパンも、政府が金をつぎこみ逆ザヤで安くした。ポルノも全面解禁した。「ある意味で、エリツィンの方が愚民政策をとった。……民衆の欲望に関するところは権力の手では触らないという基本方針を貫いているんです」
エリツィンは国家の暴力装置についても同じような方針を貫いた。「暴力装置は国家を維持するために必要である。ただし、要所要所で肝心なときに動かせればいい。権力を維持するために必要最小限の暴力があればいい。その代わり、自分の権力に刃向かってくるんだったら徹底的にやる。そういうやり方です」
国家の暴力装置だけでなく、民間の闇の暴力や教会の利権構造にもエリツィンは手をつけず、それはプーチンにも引き継がれている。
「エリツィンもプーチンも、裏の世界を統制しようとはしないで、裏の世界と表の世界の間にきちんとした棲み分けを確立しているんです。裏のヤツは表にちょろちょろ出てくるな。その代わり表も裏には手を突っ込まないからな。だけど、必要となったら、そのときには言うから、裏は表のことも手伝え。プーチンがやっているのは、そういうゲームです」
もうひとつ面白かったのは、ゴルバチョフからエリツィンへ権力が移行するきっかけになった1991年のクーデタ未遂の分析。クーデタ派がゴルバチョフを軟禁し、それをエリツィンが解放したという図式が常識になっているが、佐藤は「クーデタ派に言わせればゴルバチョフの裏切り」ではないかと言う。
クーデタ派がゴルバチョフに突きつけたのは、社会主義維持か否か、連邦維持か否か、だった。ゴルバチョフは明らかにクーデタ派と同じ社会主義維持・連邦維持の立場に立っていた。
「実際は(「ゴルバチョフ回想録」が言う、クーデタを)「察知していた」という以上に、彼自身がクーデタ派の連中にコミットメントを仄めかしていたんでしょう。……司令塔がなかったんではなくて、司令塔になるはずだったのがゴルバチョフ自身だったんですよ。司令塔になるはずのゴルバチョフのリーダーシップが消えてしまったので(注・ゴルバチョフは最終段階で非常事態宣言への署名を拒否した)、司令塔が分散することになってしまったんです」
そしてゴルバチョフからエリツィンへの権力の移行を決定づけたのは「映像の力」だという。エリツィンの力で軟禁から解放されたゴルバチョフは、モスクワ空港に着いた飛行機からジャンパー姿で降りてきた。その映像は僕も覚えている。
「エリツィンは、あえて背広に着替えさせないで、ジャンパー姿をテレビに映させたんです。権力を崩すには、まず権威を崩す必要があるということをよく知っていて、ピンポイントでみごとに権威失墜の演出をしたわけです」
当時、モスクワの日本大使館に勤務していた佐藤は、クーデタの情報を主にアゼルバイジャンから取ったという。なぜアゼルバイジャンなのか。
「ゴルバチョフの周辺にはアルメニア人が多い。ですから、アゼルバイジャンには反ゴルバチョフの機運が強いんです。それにアゼルバイジャンはソ連共産党に忠誠を誓っている連邦維持派ですから、情報はシェアしている。ところがゴルバチェフは嫌いですから、ゴルバチェフのマイナスになる情報を流す動機を持っている。このように情報を持っていて、その情報を流す動機がある人は魅力があるんです」
このあたり、情報のプロである佐藤優がその腕をちらりと覗かせる。ほかにも「諸民族のパンドラの箱」の章など、佐藤の情報力と分析力のすごさを感じさせる箇所がいくつもある。
アゼルバイジャンとイラン両国に住むシーア派アゼルバイジャン人やクルド人が複雑にからむ民族と宗教の問題、もともと同一民族だったトルキスタンを5つの国に分割して新たな「民族」を人為的につくった問題など、過去の話ではなく、いまイスラム圏で進行している事態を考えるのに大きなヒントにもなる。
また、1980年代に民族紛争の端緒となったナゴルノ=カラバフ問題は完全に「解決」して問題そのものが存在しない、なぜなら「民族浄化」の結果、異民族が1人もいなくなってしまったから、などという恐ろしい記述もある。
聞き手の宮崎学は、なぜ「国家の崩壊」を主題にした本をつくったのか、その動機をこんなふうに記している。
「ソ連崩壊なんて15年も前のことだし、日本には関係ないと、大方の人たちが思っていることだろう。だが、そんなことはない。……アメリカ一極支配が崩れ去ることだって、十分にありうることだと思わなければならない。……そんなときに、今のようなリアリティなき政治感覚を国民が持ち続けているのは、致命的である。だからこそ、多くの人たちが他人事としてでなく本書を読んで欲しいと思うのである」(雄)
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