骸骨ビルの庭(上・下)【宮本 輝】

骸骨ビルの庭(上・下)


書籍名 骸骨ビルの庭(上・下)
著者名 宮本 輝
出版社 講談社(上292、下288p)
発刊日 2009.6.23
希望小売価格 各1,575円
書評日 2010.01.06
骸骨ビルの庭(上・下)

小説を読む楽しみって、こういうものだったよな。そんな読後感を与えてくれる本を久しぶりに読んだ気がする。物語の展開が巧みで面白く、文章に品があり、古風だけれど現代的なテーマを抱えている。 ちょっとした必要があって手に取ったんだけど、読みはじめたら止まらず、まる1日で上下巻を読んでしまった。宮本輝はデビュー当時の『泥の河』『蛍川』くらいしか読んでないから、30年ぶりのことになる。それにしても『1Q84』の村上春樹と『骸骨ビルの庭』の宮本輝、2009年に発表されたふたつの小説の作者がほぼ同世代とは信じられない(宮本は1947年、村上は49年生まれ)。なんて思ったのも、一方はポップで実験的、一方は端正な正統派と対照的な作風をもち、小説家としての立ち位置やキャリアに重なるところはほとんどないのに、テーマとしてやっぱり同世代だと感じさせるものを扱っていたからだ(あ、二人が関西人なのも共通か)。

『骸骨ビルの庭』は「1Q84」の10年後、1994年の大阪に設定されている。淀川をはさんで梅田の対岸にあたる十三(じゅうそう)に「骸骨ビル」と呼ばれる古いビルがあった。戦前に建てられた英国風のビルで、高層マンション建設のために地上げされ、取り壊されようとしている。

そのビルに暮らす住民を追い出すため管理人として住み込んだ「私」が、物語の狂言回しになっている。「私」は作者と同じ1947年生まれ。25年勤めた大手電機メーカーを早期退職して、第二の人生を歩みだそうとしている。

ビルに住んだり、近くに暮らしてビルに出入りする元住民の結束は固い。彼らの様子をうかがいはじめた「私」には、早くも脅迫状めいた手紙が届いたりする。それでも一人ひとりと話をし、日々の暮らしを助けあううちに、彼らが何者なのかが「私」にも徐々に分かってくる。

およそ50歳前後の彼らは、第二次大戦で親が死んだり、親に捨てられた戦災孤児だったのだ。そのなかに一人だけ老人がおり、その男、茂木泰造は彼らの育ての親だった。茂木は戦場から帰還した復員兵。結核にかかり、親友である骸骨ビルの持ち主、阿部轍正に勧められてこのビルに「死に場所を求めて」やってきた。阿部は、戦後の混乱のなかで無人のビルに住みついた孤児たちの面倒を見ていた。生き延びた茂木も、阿部とともに無償で彼らの面倒を見ることに生涯を捧げてきた。

そんな事情が「私」にも飲み込めてくる。阿部はその後、孤児の一人の女性から性的虐待を受けていたと訴えられ、スキャンダルにまみれて死んでいった。それを信じない茂木と孤児たちは、その元孤児をこのビルに呼んで嘘を告白させ、阿部の汚名をそそぐまではここから退去しないと言う。

元孤児たちは成長して、いろんな職業についている。食堂を切り盛りする比呂子。怪しげな業界紙を発行する幸一。彫金業のチャッピー。ダッチワイフ製造の峰太郎。運送屋のトシ坊。おかまバーのホステス、ナナ。探偵の峰夫。暴力団の若頭になったヨネスケ。都会の下町に生きる普通の人々だ。「私」の問いかけに対して、彼らは口々に大阪弁で「骸骨ビルの戦後」を語りだす。

親代わりの阿部と茂木が食料を自給するためビルの庭を野菜畑にし、そこでの作業が幼かった彼らにどんな幸福感と恍惚をもたらしたか。そこから何を教わったのか。

幸一は言う。「俺は最近やっとわかってきたことがあるんや。阿部のパパちゃんと茂木のおじちゃんが、なんで自分たちの大切な人生を棒に振るようにして、俺たち戦争孤児を育ててくれたのか」

幸一は「私」を40年前に枯葉集めに行った六甲の森に連れていき、見覚えのある倒木に苔やきのこが生えているのを見てつぶやく。「四十年前に倒れた木が、別の生き物になって、いまでもちゃんとここにいてるがな」。阿部や茂木が注いでくれた生のエネルギーを栄養にして、今の自分たちがある。このセリフは、ほとんど阿部と孤児たちの関係を語っているように聞こえる。

骸骨ビルの住民は、死者である阿部轍正を中心に外からは見えない強い絆で結ばれた共同体をつくり、孤児たちが成長してからもその結束を保ってきた。その核には、阿部の戦争体験がある。

阿部は敵兵に囲まれた戦場で、偶然に導かれて命拾いしたことがある。大岡昇平の小説を読んでもわかるように、それは決して珍しいことではなく、戦争を生き延びた兵士が多かれ少なかれ体験したことだろう。でも阿部は、それを単なる幸運で片づけなかった。

「ぼくも南方の戦場で死を覚悟しながら、万一生きて祖国に帰れたら、自分のためでなく他者のために生きようと思ったものだ。しかしそれは、死が現実のものとして間近に迫っている人間に等しく訪れる生への願望に誘われて出た心にすぎない。逆に言えば、人間はそのような環境に追い込まれなければ、自分以外の者のために労苦を引き受けようという本能に目覚める機会は少ないのだと思う」

そんな体験をもって生還した兵士たちも、その多くは死地で覚えた「他者のために生きる」覚悟を日常のなかで忘れてしまう。けれど、阿部はその決意を戦後という長い時間のなかで貫いた存在として描かれている。

阿部の行為が決してお伽噺ではなく、読んでいて小説としてのリアリティを感ずるということは、戦後の市井で、そんな「利他」の態度がある実質を持っていたことの反映ではないだろうか。評者は「私」と同年齢だけれど、そのような存在に接したかすかな記憶がある。少なくとも宮本輝は、戦後をそのような時間と空間として捉えている。あるいはそのように願望している。

この物語の設定は1994年。その年に骸骨ビルは地上げにあい、跡地に高層マンションが建設された。そう物語られることからすれば、宮本輝はこの年を戦後と呼ばれる時代が終わった、あるいは変質した転換点と考えているのかもしれない。1994年は阪神・淡路大震災の前年でもある。

『骸骨ビルの庭』の主な登場人物でいちばん若いのは1947年生まれの「私」ということになる。「私」を除けば、登場人物は成人していたか幼かったかはともかく、いずれも戦争を経験した世代に属する。この小説は、彼らの戦後の物語になっている。

ところで村上春樹の『1Q84』は、同じ時代を舞台にして、もっと若い戦後派世代の物語として構想されている。主人公の天吾はおそらく1950年前後の生まれ、女暗殺者の青豆はもっと若そうだ。でも、小説のなかで何人かは戦争世代も登場する。

その一人が、青豆に殺人を依頼する「柳屋敷」の老婦人だ。老婦人は、夫や父親や恋人である男たちに虐待され深刻な被害を受けた女性たちを保護してきた。「柳屋敷」は傷ついた者たちのシェルターであり、いわば女性のための「骸骨ビル」なのだ。

老婦人は青豆に、少女をレイプしたカルト教団のリーダーを殺害するよう依頼する。老婦人は、こう提案する。放っておけば同じことを繰り返すに違いない、慈悲をかける余地のない男を消す行為は「間違いなく正しい」、そしてそれに対しては「報酬を支払う」と。老婦人の行為に共感して殺すのだから報酬はいらないと言う青豆に、老婦人は「それは無償の行為であってはなりません」と述べ、こうつけ加える。

「お金なんてもらいたくないという心情も理解できます。しかし混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなものを抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持を、気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎ止めておく必要があります。(報酬は)そのためのものです。正しいことであれば、その気持ちが純粋であれば何をしてもいいということにはなりません」

『骸骨ビルの庭』の阿部や茂木は、他者のために生きるという「純粋な気持ち」を持ちつづけ、「無償の行為」に生涯を捧げた。しかしそれは普通の人間の手に負えるものではない、神の行為に近くなる、と村上春樹の登場人物なら言うだろう。むしろそれは危険なことなのだ、と。そこにお金を介在させることで、青豆が人を殺すことが「地上の行為」になる。

唐突な言い方になるけれど、「柳屋敷」の老婦人が語る「正しい殺人」という言葉の背後には、連合赤軍事件やオウム真理教事件に対する村上春樹の受け止めが潜んでいるのではないか、と想像してしまう。連合赤軍の兵士やオウム真理教の信者が信じた「正しい殺人」に至る発端には「純粋な気持ち」や「無償の行為」があり、事件はそれが悪魔的に反転した結果ではなかったか。そうした「純粋」や「無償」の危うさ、恐ろしさに自覚的だったからこそ、老婦人が青豆に「正しい殺人」を依頼するに当たっては報酬が必要とされたのだ。

そのことをもう少し考えてみたい気もするけど、別の機会にゆずろう。ともかくここにあるのは、戦後という時代に対する二つの対照的な眼差しと言えるかもしれない。宮本輝は、戦争が産み落とした戦後の、きらきらと輝く美しいものに着目した。それは失われてしまったかもしれないが、確かに存在した。村上春樹は、戦後が生み出した鬼っ子のような存在に着目した。それは醜いものだが、眼をそらすわけにはいかない。

戦後世代の2人の小説家、評者とも同世代の小説家が自ら生きた時代に正面から向き合った作品を同じ年に読むことができたのが嬉しい。(雄)

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