霧のむこうに住みたい【須賀敦子】

霧のむこうに住みたい

一筆描きの水彩画のような


書籍名 霧のむこうに住みたい
著者名 須賀敦子
出版社 河出書房新社(180p)
発刊日 2003.3.20
希望小売価格 1200円
書評日等 -
霧のむこうに住みたい

映画を見ていて、いま自分は映画を見ているのだという意識すら消えうせて、まるでその場に自分が本当にいあわせているのだと感ずることが、まれにある。

そんなとき、スクリーンに映しだされた風景の、霧の立ちこめた冷たい夜明けだったり、空の奥まで抜ける乾いた青空だったりの、空気の色や温度、その感触までもがまざまざと肌に感じられる。僕がそれをはじめて体験したのは高校時代、ぱらぱらとしか観客のいないみゆき座で見た「水の中のナイフ」だった。

同じような体験は、すぐれた小説や詩にもある。それは中身の問題という以上に、つくり手と受け手の体質が合うか合わないかの問題だと思える。

どんなにすごい映画や小説でも、その文体の発する匂いに自分の皮膚が反応しなければ、そんな体験をさせてくれない。そのかわり、そのように感応した映画や小説や詩からは、繰り返し読んだり見たりしてもいつもあの感触がやってくる。僕にとっては生涯の宝物となる。

須賀敦子は、散文でその体験を味わわせてくれる数少ない書き手の一人だった。十数年前、初めての著書「ミラノ霧の風景」の冒頭におかれた「遠い霧の匂い」という短いエッセーを読んでいて「あの感触」に襲われたときのめまいのような感覚を、昨日のことのように覚えている。

それから単行本でいえば10冊近く。刊行されるたびにすぐに買い求め、読みはじめれば、次から次へと読みすすめたいのに、一方で読み終わるのを少しでも先にのばしたい。贅沢な読書とはこういうことを言うのかと、1冊を読むごとに感じてきた。

須賀敦子が亡くなって5年。もう彼女の新しい文章に接することはないと思っていたところへ出たのが「霧のむこうに住みたい」である。

ちょっと脇道へそれる。本書に収められた29本のエッセーは没後に刊行された全集に収録されているが、僕は全集を買わなかった。経済的理由もあるけれど、それ以上に生前あるいは病没直後に刊行された10冊の単行本が、一冊としての内容の完成度はもちろんのこと、どれもモノとして見事な出来ばえだったからだ。

出版社はさまざまだが、美しく読みやすい書体(活字も写植もあるが、特に精興社活字)、余白をたっぷりとった組み版、マット系の紙を中心に落ち着いたカバー装幀。編集者の思いと力量が伝わってくる本ばかりで、どれも自分の書棚においておきたい。全集を買って単行本未収録のエッセーや日記を読む誘惑と、これらの単行本を処分するつらさを比べたとき、僕の須賀敦子はこの10冊でいい、と思ったのだ。

29本で180頁というつくりからも分かるように、ここに収められたのは短いエッセーばかりである。でも、ほんの数頁の文章からでも、「あの感触」は確実にやってくる。たとえばフィレンツェの町歩きの楽しさを伝えるこんな一節。

「たとえ有名な建物がその道になくてもいい。家々が、家並みが、いろいろなことを語りかけてくれる。ひょいと入った裏通りにならんだ、家具の修理工房。職人さんが、白くなった安全靴をはいて、仕事をしている。若い見習いが、カの発音ができなくて、ハといってしまうフィレンツェ弁で、親分にどなりとばされている。あたりはニスやら絵具やらの匂いでいっぱい」

「ミラノ霧の風景」や「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」などが長時間かけて少しずつ描かれたフレスコ画だとすれば(須賀の文章に油絵という喩えは似合わない)、この本は一筆描きの水彩画のようだ。

フレスコ画には、灰色に濡れた重い霧のなかから徐々に浮かびあがってくる、須賀が十数年暮らしたミラノの街角や、友人の貧乏インテリが実は貴族の出で、その背後にイタリア上流階級の人間関係や文化の濃密なかたまりが控えている事情などが、じっくりと描きこまれている。

この本はそうではなく、馴染んだ町のちょっとしたスケッチや、一度だけ訪れた土地、一度だけ会った人々の印象などから成っている。そんな軽い一筆描きのなかにも、須賀敦子の世界は確かに潜んでいる。先ほどの引用には、こんな文章がつづく。

「なんども同じ通りを歩くうちに、だんだん、建物のつくられた時代までが、すこしずつわかるようになり、この建物は、むこう側のあれよりも、ルネサンス度が純粋だ、というふうな判断がうまれてくる。やがて、どの道の、どの建物がいい、というふうになり、フィレンツェに行ったときには、またひとりでそれを見に行く」

「このごろになって、やっと、私は、たとえばフィレンツェ・ルネサンスの建築への理解が、少しだけ身についてきたように思える。以前、本でなんど読んでもわからなかったことが、変な言い方だが、自分のからだの一部になってきたような気がする。その建物の前、あるいは横に立ったとき、ああ、ルネサンス建築とはこういうことだったのか、と感慨をおぼえる」

この描写は、須賀敦子の一生を貫く方法そのものではないだろうか。地図やガイドブックを持たない。時間をかけて歩く。歩きつづけるなかで、なにものかが皮膚から自分のなかに染みとおってくるのを待つ。時間がたち、それらが自分の体のなかで血肉となったある瞬間に、全体が立体図のようにくっきりと立ちあがってくる。

須賀敦子がイタリアから帰国してから処女作の「ミラノ霧の風景」が書かれるまでには、20年近い時間が経過している。その気の遠くなるような時間を、須賀敦子は教師、翻訳者として生活しつつ(翻訳は彼女のもうひとつの大きな仕事だが)、黙って体のなかの記憶を磨いていた。

その果てに掴まれた須賀敦子のイタリアは、ミラノの商店街やフィレンツェの裏道やヴェネツィアの迷路の片隅の暗闇や、そこにわだかまっている空気の色や匂いまでをも僕たちに伝えてくれる。

この本のタイトルとなった「霧のむこうに住みたい」は、ウンブリアの小さな町を訪れるときに立ち寄った、峠のカフェのスナップショット。「いま登ってきたばかりのくねくね坂は霧のなかに沈んでいる。吹きつける冷たい風に首をすくめながら」、須賀たちは石造りの小屋に駆け込む。

「たばこの煙が暗い電灯の下にうずまいていて、むっと匂った。片隅のカウンターには、数人の日焼けした男が寄りかかって、黙ってワインを飲んでいる。農夫のようにも見えたが、こんな荒地のいったいどこを耕すのか。どうして、こんなに黙りこくって酒を飲んでいるのか」

3頁ちょっとの短編。羊と番犬だけを相手に暮らし、しゃべることも忘れてしまった羊飼いの男たちの肖像は忘れがたい。

「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな風景のなかにひとり立っているかもしれない。ふと、そんな気がした」

おそらく実際の体験から30年以上たって文字にされたこのエッセーのように、磨きぬかれた小粒のダイヤモンドにもひとしい文章が収められている。この本も、彼女の11冊目の単行本として、僕の書棚の最上席と自分で決めた場所を占めつづけることになるだろう。(雄)

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