桑田佳祐論【スージー鈴木】

桑田佳祐論


書籍名 桑田佳祐論
著者名 スージー鈴木
出版社 新潮社(272p)
発刊日 2022.06.17
希望小売価格 946円
書評日 2022.11.27
桑田佳祐論

「桑田佳祐論」というタイトルもいささか大袈裟なのではと思いながら読み始めたが、著者の桑田に対する思いの深さが存分に発揮された一冊。納得感とともに、著者との世代の違いによる感じ方の差を実感することが多いのも面白さの一つ。著者は1966年生まれ。音楽評論や野球評論などを行っていて、もともとは博報堂に勤務していたという。2017年に「サザンオルスターズ(1978~1985)」、2018年に「イントロの法則’80s 沢田研二から大滝詠一まで」といった著作を出しているが、私にとっては彼の著作を読んだのは本書が初めてである。

本書は、桑田のデビュー作の「勝手にシンドバット」(1978)から「ブッダのように私は死んだ」(2020)までの26作品を取り上げて、三つの時代に区分してその歌詞について語っている。第一章「胸騒ぎの腰つき」は、桑田の音楽人生の序章として「勝手にシンドバット」から「夕陽に分れを告げて」(1985)までを位置付けている。第二章は「アメリカは僕のヒーロー」(1986~2010)と題して、9曲の楽曲を取り上げている。この時期に桑田は全編英語詞のアルバムを出していること等から、こうした位置付けをしているのだろう。ただ、この頃は、私は仕事に追われた時代だったし、テレビの歌番組が少なくなり生活のバックグラウンド的に歌が流れていなくなっていた事などから、聴き慣れた曲は少ない。第三章「20世紀で懲りたでしょう」(2011~2022)はタイトルも象徴的である。この時期、桑田は食道ガンからの復帰のアルバムを出し、「月光の聖者達:ミスタームーンライト」などビートルズを想起させる曲をリリースしている。それだけに桑田の原点回帰的な時期というだけでなく、3.11、紫綬褒章受章、2014の紅白騒動など、彼の生き様にも影響を与えたであろう波乱の時期という事か。

桑田の歌の特徴といえば、桑田語ともいえる独特な言葉の組み合わせがある。しかし、本書の書き出しは「白状すれば本当は桑田佳祐の歌詞などまともに読んでいなかった」というもの。確かに、私も桑田の歌詞をまともに読み込んでいたことは無いと思うし、楽曲全体で何を伝えたいのかなどは考えたこともなかった。しかし、本書のような「桑田佳祐論」ともなると、そうはいかないのだろう。「桑田は日本語の歌詞をどうビートに乗せるかという方法論について最大の功績があった」という点に着目しつつ、コミックソング、エロ歌謡、ナンセンスソングとも言われる桑田の歌詞も「ふざけた歌詞」ではなく、「表現の自由」と「戦後民主主義」を謳歌している日本人の「自由な歌詞」と捉えている。これが、著者の桑田を読みとく原点である。

面白い視点やエピソードがいくつかあったので触れてみようと思う。まずは、著者との世代ギャップを感じた部分である。

「歌詞よりもリズムやメロディー優先で作っていると言われている桑田の楽曲に、茅ケ崎という具体的な地名の採用について、今でこそ茅ケ崎は『湘南』エリアを代表する地名だが、1978年当時はそれほどメジャーな地名ではなかった」という一文を読んで驚いた。我々団塊の世代からすると、1960年代には加山雄三やワイルド・ワンズなどが芸能人や歌手として茅ケ崎をどんどん表に出していった時代だ。私の青春感覚では「湘南」を代表するのは「茅ケ崎のパシフィックホテル」や「逗子のヨットハバー」だったから、1970年代の茅ケ崎は若者にとってオシャレな遊び場の象徴だった。

桑田は10才年上の「団塊の世代」を「愛と平和で歌う世代」と言っている。その気持ちを著者は「桑田の世代は団塊の世代に対して、反抗心とともに真逆な共感や諦め」があったという世代意識を示している。

「胸騒ぎの腰つき」のように「意味からの自由奔放さ」が桑田の特徴だし。三枚目のシングル「いとしのエリー」(1979)について「コミックバンド風からビートルズに転換した一曲であり、コアフレーズの『エリーMy love so sweet』は洋楽が血肉化日本人にしか書けないし、歌えないフレーズ」と言っているように桑田の歌は世代論を超えた独特の世界観だった。30代のサラリーマンだった我々団塊の世代もカラオケで歌いまくっていたから、10代から30代の幅広い世代で聴かれ、歌われていたということだろう。

「明日へのマーチ」(2011.6)は東日本大震災後のシングルだが、桑田を始め多くのアーティストが福島や宮城を支援し続けている。我が家も代々福島で生活していた家だけに、桑田の活動には共感を覚える。ただ、桑田が「TSUNAMI」(2000)を3.11以降封印していることは残念に思っている。

「2015年にラジオ局の『女川さいがいFM』で聴取者からの『TSUNAMI』 のリクエストがあったがいろいろ考えた挙句、この曲を流せなかった。しかし、2016年にこの放送局が閉局するときの最後の放送でパソナリティーが自らギターを弾き『TSUNAMI』を歌い、スタジオの全員が声を合わせて歌って放送を終えた」

このエピソードに、私のこの曲に対する考えの一つの答えがあったように思う。3.11では多くの人達の感情はまだまだ着地できていない部分が沢山ある。しかし、桑田に歌ってほしいというファンの気持ちは変わりない。

そした本書で取り上げている最後の曲が「ピースとハイライト」(2013)である。桑田はこの曲を2014年の紅白歌合戦でヒトラーを思わせるちょび髭をつけて歌い、炎上騒ぎを起こした。私はこの年の紅白は見ていたと思うが、さしたる違和感もなく視聴していた。年越ライブでの紫綬褒章の雑な取り扱い方や紅白での「ピースとハイライト」を、「ピース=平和」と「ハイライト=極右」と解釈をしたうえでの政治批判のパフォーマンスに対して、翌2015年1月に桑田自身と所属事務所が謝罪会見をするに至った。しかし、謝るなら最初からするなというのが率直な感覚だ。著者も「ロック音楽は何を歌ってもいいんだ」という桑田の言葉を引きながら「もはや戦後ではないと言われた1950年代に生まれた桑田は表現の自由をこう解釈している」としている。しかし、謝罪に追い込まれるというのも、それだけ桑田の存在が大きくなったという事なのだろう。

桑田佳祐というミュージシャンの楽曲と歌をどう捉えるか、世代による違いもあるだろう。しかし、もう一歩すすめると、同一世代の共通性よりも受け取り方の個人差はさらに大きいというのも厳然たる事実だと思う。私は桑田の歌詞は一曲をストーリーとして表現しているよりも、俳句的な感情表現の積み上げで、リズム感も短形詩の集合のように感じている。だからこそ、感傷や哀しさという感情表現が強く出ているのではないか。

作詞家の桑田は頭の中のイメージを100%歌詞・言葉に変換しているわけではない。また、彼の歌を聴く側も様々な解釈をして受けとめる。聴く側が分析と推論を繰り返しても、桑田が自らの作詞した楽曲について書いた本「ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(1984)というタイトルを突き付けられると、「私はこう聴いて、こう感じた」という以上の説明は、なにやら空虚に響くのだ。(内池正名)

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