書籍名 | 古代中国の24時間 |
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著者名 | 柿沼陽平 |
出版社 | 中公新書(328p) |
発刊日 | 2021.11.25 |
希望小売価格 | 1,056円 |
書評日 | 2022.05.17 |
大きめの書店に入っていちばんの楽しみは、なんといっても新刊書の棚を隅から隅まで眺めることだろう。この歳になると好みの著者やジャンルは固まっているから、買う本はたいていその範囲に収まってしまう。新刊書棚を見る楽しみは、そんな自分の好みを超えて新しい読書体験をもたらしてくれる本に遭遇すること。この本もそのようにして昨年末に出会った。でもそのときは『ケルト人の夢』(本サイト2月に紹介)、『人びとのなかの冷戦世界』(同4月)と大著2冊を読む予定があったので迷った末に買わなかった。先日、行きつけの書店に行ったら、やっぱりこの本がオーラを発して「面白いよ」と呼びかけてきた。発売3カ月で4刷になっているから、順調に売れてるようだ。
サブタイトルに「秦漢時代の衣食住から性愛まで」とある。秦や漢の時代の皇帝、官吏、都市民や農民がどんな日常を送っていたのかを、朝起きてから寝るまで時間を追って膨大な文献やモノの遺品・遺物など史料を使って再現している。著者の柿沼は1980年生まれで中国古代史・貨幣史の専門家。
彼はこの本のスタイルについて、「ハゲ・トイレ・痰・口臭、起床時間、自慰等々……卑俗でリアルな生活風景」を自らが古代世界にワープしたロールプレイングゲームのように描いた、と書いている。ではそれがどんなものか、覗いてみようか。
もちろんハゲはいつの時代、どの地域にもある。でも秦漢時代(前3~3世紀)の官吏にとってこれは大問題だった。というのは官吏はその身分にあった冠をかぶり、髷(まげ)を結ってそこへ冠を留めていたからだ。髷を結えなければ君主におじぎするとき、冠がぽろっと落ちる危険がある。だから官吏は髪を長くしておかなければならない。寄る年波に勝てずハゲた官吏はカツラ(髦・てい)をつけて冠をかぶる。でも漢時代の壁画にはカツラなしで頑張るハゲた官吏たちの絵も描かれている。
漢代のトイレにはいくつかのタイプがあり、しゃがむタイプ(和式)が多いが座るタイプ(洋式)もある。漆塗りの便座(洋式)が出土しているのは、身分の高い者が使ったんだろうか。高級なトイレのそばには、排便後に下半身を洗い、衣服を替えるための部屋もあった。だからトイレは更衣と呼ばれた。基本は男女の区別なし。「高級か否かを問わず、かなり臭かった。そのため高級トイレなどには、鼻につめるための乾棗(なつめ)が置いてあったり、南方産の香粉や香水が置いてあったりする」。ふつうトイレは2階にあり、その下の1階には豚小屋が設置されていることが多い。排泄物は豚に食べてもらい、その豚をまた人間が食べる。
痰といっても、皇帝の痰の話。皇帝が痰を吐くとみるや傍に控えた侍中(じちゅう)がすばやく唾壺(だこ)を差し出す。侍中とは虎子(しびん)や清器(おまる)を管理する係。皇帝が尿意や便意をもよおしたら対処する役目なのだが、つねに皇帝の傍にいる必要があるからか高名な学者であることが多かった。だから侍中はほかの官吏から羨望のまなざしで見られていたという。
この時代の人びとはろくに歯も磨かなかったから、口臭は切実な問題だった(虫歯は秦漢人が口臭以上に恐れた問題だが、それは置いて)。口臭がひどければ恋愛にも結婚にも仕事にも支障が出る。皇帝の側近ともなれば、皇帝に不快な思いをさせないよう杜若(とじゃく)や鶏舌香(けいぜつこう)といったブレスケアを服用するほうがよい。特に鶏舌香は曹操が軍師の諸葛亮孔明に贈ったことのある珍品だ。女性もブレスケアを用い、「気(吐息)は蘭の若(ごと)し」と評された美女もいたとか。
秦漢の時代、日の出前後の時間を「平旦」と呼んだ。この時刻、洛陽など都市はまだ寝静まっているが、5日に1度くらい開かれる聴朝(ちょうしょう・政治)の開始時刻でもある。すでに宮城の前には官吏が集まり開門を待っている。実際、前漢の武帝は平旦に詔を発し、官吏はそれを踏まえて「食時」(しょくじ・午前9時頃)に答申している。食時はその字のとおり、朝食を取る、あるいは朝食を終える時刻。もっとも農民はもっと早く食事をしたろう。
主食は黄河流域でいえばアワが多く、上等なものとしてキビがあり、オオムギも食べられていた。ある人は、キビが一番、イネが二番で、ムギやマメはいまいちと評している。たいてい煮てから蒸し、粒のまま食べた。庶民はこれに加えてネギやニラを食べる程度。上流階級になると牛、羊などの肉、ニワトリ、キジなどの鳥類、コイ、フナなどの魚類を食べた。特に子牛や子羊の柔らかい肉や、春には繁殖期のガチョウ、秋には若鶏など季節ごとに豪華な食材が好まれた。ちなみに食事は庶民層なら朝夕2食が多い。
さて、最後になったが自慰とか性愛については、古今東西やることはあまり変わらないから、この時代ならではということは少ない。とはいえセックスを通じて不老長寿を図る房中術なるものがあり、『十問』『合陰陽』などの書物が出土しているが、著者は詳しく説明していない。そのかわり、キスしたり抱き合ったりしている陶俑や、レズビアン用と思われる張型の出土品が紹介されている。概してこの時代の性愛はおおらかで、同性愛もそれほど差別されていたわけでなく、「少なくとも上層階級の性愛のかたちは多様であった」。
とまあ本書のごく一部を抜粋してみたけれど、ほかにも住居と都市の構造とか、居酒屋や宴会の作法とか、ファッションと流行とか、ナンパの仕方とか、興味深い記述がたくさんある。そんな古代中国の日常生活空間に旅行者のように入り込んであっちを見たりこっちを見たり、短い滞在時間ではあったが好奇心を満足させて楽しみ、遊んだ。その印象を大雑把に言えば、少なくとも都市住民に関するかぎり高度成長以前のわれわれとそんなに変わらないなあ、というものだった。日本で言えば縄文から弥生の時代である。
この本は専門書でなく一般向けの新書だけど、だからといって見てきたような嘘やあいまいな記述があるわけではない。巻末には20ページ890カ所に及ぶ注がつけられ、あらゆる記述の出典が明らかにされている。そこに著者の姿勢が見える。学者の余技でなく、目指すのはフェルナン・ブローデルに連なる本格的な「日常史」。
プロローグには、こんなことも書かれている。そもそも中国古代史の史料はそんなに多くない。せいぜい1500万字程度(!)。「まともな研究者なら10年間もかければ読み通せる量である」。もちろん柿沼は1500万字に10年かけて目を通し、そこから日常生活についての記述に付箋をつけていった。その集積に加えて、木簡・竹簡、遺跡・遺構からの出土品、石やレンガのレリーフ、明器(副葬品)などの史料も加えて、「最近、ようやく古代中国の24時間の生活風景が大まかにわかってきた」結果、この本が生まれた。
先月このサイトで紹介した益田肇(『人びとのなかの冷戦世界』)もそうだけど、新しいタイプの研究者が続々と生まれてるんだなあと頼もしい。彼らが次にどんな本を書いてくるのか、楽しみだ。(山崎幸雄)
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